夜、洗面所で歯を磨いている。鏡の中の顔が、ふと誰なのか分からなくなる。嫌いな顔ではない。疲れた顔でもない。誰なのかだけが分からない。そのあいだも、歯ブラシを持った手は止まっていない。奥歯まで、いつもの順番で磨いている。
この顔で今日、人に挨拶をした。名前を呼ばれて返事をした。話の途中で笑った。頷いた。誰もこの顔を疑わなかった。
この顔が今日一日を誰としてこなしていたのか分からない。
顔だけが今日を済ませてきた。
財布の奥に、何年か前に撮った証明写真の余りが入ったままになっている。取り出さなくても、あの小さな写真の顔なら見覚えがある。鏡のこの顔には、見覚えがない。
人に言えば「疲れてるんだよ」で片づく話だと思う。実際、疲れてもいる。それでも、ひと晩眠って疲れが取れたところで、この顔が戻ってくるとは思えない。
この顔のまま生活が続いていく。
寝込んで生活が一日止まるより、そのほうが静かに怖い。
口をゆすぐ。
歯ブラシをコップに戻す。
鏡の中でも見覚えのない顔の手が同じ動きをしている。
目を逸らして洗面所の電気を消す。
『Endless Pain』という歌は、同じ一日を何度も繰り返して同じところに立ち止まったまま、それでももう少しマシになりたいと思っている人の歌です。






