投稿してから三十分が経つ。
通知の数字は、上げた直後から一つも動いていない。
画面を消して、ポケットに入れる。
五分後、また取り出して開く。
指で画面を下へ引っぱると、読み込みの輪が一周して、同じ数字が戻ってくる。
消す。しまう。また開く。
机の上で続いているのは、さっきからこの往復だけだ。
少し前、同じ机で、聞かれてもいないのに言った。
「別に数字とか興味ないし」。
押して、外す
自分の投稿に、自分でいいねを押すことがある。
一件目に自分の名前が並ぶ。
いいねの一覧は誰でも開けるから、押したことは見える。
だから、しばらく経ってから外す。
押すのに一秒。
外すのに一秒。
その二秒の中に、欲しがる方の動作と、欲しがっていないことにする方の動作が、両方入っている。
人がいる場所では、画面を伏せて置く。
ロック画面が点いても、すぐには手を伸ばさない。
一拍おいてから、ゆっくり裏返す。
通知を開くときも、まっすぐそこには行かない。
別のアプリを一度開いたり、何かのついでみたいな顔をしてから見る。
別に気にしていたわけじゃない。
たまたま開いただけ。
そんな順番を、自分にまで見せている。
それから、聞かれてもいないのに先に言っておく。
「別に数字とか興味ないし」。
一度言っておけば、あとから何度開いても、興味のない人が開いているだけになる。
同時期に流れてきた友達の投稿には、千に近い数字がついていた。
それを見たあとも、口から出る言葉は変わらない。
自分の数字が動かない日も、他人の数字が大きい日も、こちらの台詞だけは同じものが用意されている。
同時に走っている、二つの作業
投稿する。
何を出すか決める。
いつ出すか選ぶ。
出したあと、確かめる。
ここまでは分かりやすい。
でも、それと同じくらい、別のこともしている。
気にしていない顔をする。
予防線を張る。
画面を伏せる。
見たいのに、見たくない人みたいに振る舞う。
怖いのは、反応が来ないことだけではない。
反応が来ない三十分なら、まだやり過ごせる。
もっと嫌なのは、
「あ、この人、反応を欲しがってたんだ」
と知られることなのかもしれない。
だから、欲しいものを確認するだけなのに、隠れてやる。
人のいない廊下。
エレベーターの中。
机の下。
「興味がない」と言った回数だけ、確かめる場所が見えないところへ移っていく。
減ったわけではない。
見えるところから消えただけだ。
そういう日は、一日の終わりに妙に疲れている。
何してたの、と聞かれても、
「別に、何も」
としか答えられない。
たぶん、それも完全な嘘ではない。
何かを欲しがって、欲しがっていないふりをして。
ずっと何かをしていたのに、成果の側には本当に何も残っていない。
誰も「欲しがるな」とは言っていない
これだけ隠しているのに、
「認められたがっているね」
と実際に誰かから言われた場面を思い出そうとすると、なかなか出てこない。
一度もない、かもしれない。
誰かに笑われたわけでもない。
欲しがるな、と言われたわけでもない。
それでも、いつか言われるかもしれない言葉に向けて、先に防御を作っている。
宛先のない防御を、毎日律儀に立て直している。
相手がいないから、
「もう隠さなくていい」
という合図も、どこからも来ない。
おわりに
やめ方が分からないわけではない。
押さない。
外さない。
先に言わない。
何度も開かない。
手を止めること自体は、たぶんできる。
分からないのは、止めたあとに何が残るのかだ。
反応を欲しがっている自分を隠さなくなったら、何が残るのか。
誰にも見られないまま数字を確かめる時間をやめたら、その空いたところに何が来るのか。
そこが分からないうちは、たぶん、また開く。
数字は、上げたときのまま動いていない。
押すのに一秒。
外すのに一秒。
その二秒を、今日は何度も繰り返した。
反応を待つことより、待っていることを隠す方に、ずっと体力を使っていた。
ポケットに戻したスマホは、握っていた分だけ、まだ温かい。
『Validation Economy』という歌は、欲しがっていると知られたくないまま、それでも誰かの反応を確かめ続けてしまう人の歌です。




