「久しぶりにご飯でも」と送ったのは、月曜の朝だった。前の晩から思っていて、送る前に指が一度止まったけれど、そのまま送ってスマホを鞄に入れた。
返事は昼に来た。
「いいね、いつがいい?」
仕事の合間に開いて、それだけ読んで画面を消した。日付を決めるのは家に帰ってからでいいと思った。午後はいつもどおりに過ぎて、途中で何度か、まだ返していないことを思い出した。
夜、家に帰って鞄を椅子に置いてから、台所に行った。冷蔵庫にカレンダーが貼ってある。今週と来週を見ると、土曜も日曜も、欄には何も書かれていなかった。どちらでもよかった。それを確かめて部屋に戻るまでのあいだ、少しだけ嬉しかった。
画面を開くと、「いつがいい?」がいちばん下に残っていた。日付を入れるだけでよかった。何も打たないまま閉じた。
止めたつもりはなかった。あとで返せばいい、と思っただけだった。
土曜でも日曜でもよかった
翌日の昼、休憩に入ってからもう一度開いた。入力欄まで出して、そこで指が止まった。土曜と打ってもよかったし、日曜と打ってもよかった。予定は何も入っていない。それなのに、どちらも打てなかった。
少し離れたところで、誰かが電話をしていた。短いやり取りのあと、「じゃあ来週の水曜で」と言って切って、そのまま部屋を出ていった。
日付を入れれば、その日が決まる。決まればそこから、あと何日と数える日が始まる。あと三日、あと二日、と減っていくところまで浮かんだ。もう数えはじめている自分に気づいて、画面を閉じた。
誘ったのは自分のほうだった。そこまで思って、その先は出てこなかった。休憩の残りは、何も見ないで座っていた。
夜、寝る前にもう一度開いた。「いつがいい?」の下は、昼と同じで何もないままだった。入力欄を押すとキーボードが上がってきて、そのまま画面を暗くした。
三日目
三日目は、一度も画面を開かなかった。仕事は普段どおりで、急ぎのものもなかった。職場では普通に話したし、昼も普通に食べた。
それなのに、朝からずっと言葉を選んでいた。選んでいたのは日付ではなく、返すのが遅くなったことに付ける言葉のほうだった。
昼に外へ出たときも、帰りに駅まで歩いているあいだも、頭の中で言い方を並べ替えていた。夜、洗い物をしながらまた同じことをしていて、水を止めたときには、はじめに思いついたものとは別の言い方になっていた。打ってはいない。画面は鞄に入れたままだった。
送ったときは、日付を一つ書けば済む話だった。今日一日で考えていたのは、それより長いものだった。
ごめん、ばたばたしてて
四日目の夕方、仕事が終わって外に出たところで開いた。「いつがいい?」は、いちばん下にあるままだった。立ち止まったまま、そこで打った。
「ごめん、ばたばたしてて」
打ち直さなかったし、読み返しもしなかった。送るまでのあいだに、迷いはなかった。
返事はその日のうちに来た。
「またいつでも」
そこで会話は止まった。画面を閉じて鞄に入れると、あとは何も起きなかった。
三日かけて書けなかった一行より、この一行のほうが早かった。
会話は消さなかったし、通知も切らないままだった。
おわりに
夜、台所に行った。カレンダーを見ると、近いほうの週末は明後日になっていた。月曜の夜は、どちらの週末もまだ先だった。
土曜の欄も日曜の欄も空いたままで、その前後の欄にも、もともとほとんど何も書かれていない。先月のぶんも、たぶん同じだった。
冷蔵庫を開けて、中を少し見てから、何も取らずに閉めた。
台所の明かりの下に、空いたままの欄が並んでいた。
『Want You, Fear You』という歌は、人と繋がりたいのに、近づくほど怖くなって、「会いたい」と「逃げたい」の両方をいつも抱えてしまう人の歌です。





