夕方の電車に乗って、ドアの横に立った。外はまだ少し明るい。それでも窓は半分鏡になっていて、自分の顔がうっすら映っている。少し前まで、この時間の窓は外だけを映していた。電車が動き出すと、外の明かりが流れていく。映っている顔は流れない。
今日もやろうと思っていたことに手を付けられなかった。朝はやるつもりでいたのに、そのまま帰っている。鞄は朝と同じ重さのままだ。
頭の中で、いつもの独り言が始まる。続きが先に言えてしまう。どこで終わるかまで知っているのに、止め方だけを知らない。去年の今頃も、同じことを思っていた。驚かなかった。
但し書きが先に付く
気づいた瞬間、今日の分の苦しさに「またそれか」という但し書きが付いた。言い終わる前に、もう付いていた。
誰かにそう言われたことは一度もない。「まだ同じことで悩んでるの?」も言われたことがない。言われる前に、自分が先に済ませている。いちばん先に聞き流しているのが、自分になっている。
去年の「もう限界」
去年、「もう限界」と口に出したことがある。言ったときは本気だった。今日も痛い。痛みのほうは毎回、初めてみたいに痛い。古くなったのは痛みではない。訴えのほうが中古になっていく。
同じ独り言が何年目に入ったのか、三年目かもしれないし、もっと前からかもしれない。数えられなくなっている。「去年も同じだった」が、今日の分に上乗せされる。通常運転という言葉が浮かんだ。打ち消す言葉は浮かばなかった。
括っているのは今の私
窓の外はさっきより暗くなって、映っている顔が少し濃くなっている。去年の「もう限界」も、初めてみたいに痛かったはずだ。それを今の私は「また同じこと」で括っている。括りの中に、去年の本気も入っている。何回分の本気が入っているのかは、数えられない。聞き流していたのは、今日の訴えだけではなかった。
おわりに
去年の私は本気だった。
今年の私も本気だ。
痛いのは毎回初めてみたいに痛い。
聞き飽きているのは私がいちばん先だ。
電車が駅に着いて、ホームの明かりで窓の外が明るくなる。映っていた顔が薄くなっていく。ドアが開く。降りる。
『Frozen in Motion』という歌は、毎日は今日も動いていくのに、自分だけが去年の今頃と同じ場所に立ったままでいる人の歌です。





