金曜の夕方、パソコンを閉じかけたところで、コートを着た課長が後ろを通りかかった。「月曜の朝、少し時間もらえる?」と言いながら、足は止まらなかった。
「はい」
と返すと、「じゃ、よろしく。お疲れさま」と言って、そのまま出ていった。何の話かは言わなかった。
隣の人がこちらを見て、「何だろね。月曜まで気になるやつだ」と笑った。
それから鞄を持ち、「まあ、大したことないって。お先に」と言って帰っていった。
家に着いて夕飯を済ませたころには、何の話だろうと考えている自分がいた。
書き出してしまえば置いておける気がして、机にあったメモ用紙に、思いつくものを三行書いた。
来月の担当のこと。
年末の休みの希望の件。
先月の集計のこと。
どれも大したことじゃない。
そう思って、灯りを消した。
四行目
土曜の朝、目が覚めて最初に浮かんだのは、今日の予定ではなくあの一言だった。
考えないでおこうと思いながら起きて、机の上の紙を読み返した。
三行を順に読んでいくと、どれも月曜の朝にわざわざ呼ぶほどの話ではない気がしてきた。
そのうち、先週出した表の数字を一か所だけ、確かめないまま出したことを思い出した。
ペンを取って、四行目にそれを書いた。
四行目だけ、ほかの三行より字が小さかった。
置いておくために書いた紙なのに、読み返すたびに行が増えている。
外に出ても
家にいるから考えるのだと思って、昼前に買い物に出た。
棚の前で何を買うか決めているあいだも、課長がコートのまま足を止めなかったことを思い返していた。
足を止めずに言ったのは、軽い話だからかもしれない。
その場では言えない話だから、かもしれない。
「少し」が五分なのか一時間なのかも、気がつくと考えていた。
考えすぎだ、と自分に言った。隣の人の「大したことないって」も思い出して、たぶんその通りだと思った。
それで一度は棚に目を戻すのに、次の品物を手に取るころには、また同じところに戻っている。
悪いほうへ考えているのは、自分でも分かっている。
たぶん何でもない話だ。
課長は今ごろ、あの一言を一度も思い出していないと思う。
隣の人も。
月曜のことを土曜に考えているのは、たぶん自分だけだった。
袋を提げて家に帰った。
返事
午後になって、聞いてしまえば終わるのだと思った。
休みの日に送るのは変だとも思ったけれど、何の話ですかとは聞けなくて、「お休みのところすみません。
月曜のお話、何か準備しておくものはありますか」と打って、送った。
スマホは伏せずに机に置いて、夕飯の支度をした。
鍋を火にかけているあいだ、何度か机のほうを見た。
八時すぎに返事が来た。
「特にないです。来月からの担当の割り振りの相談です。休みの日にすみません、気にしないでください」
読んで、少しのあいだ、何も考えなかった。
それから、割り振りを変えるのは自分の分が遅いからかもしれない、と思った。四行目の表のことが頭に戻ってきた。
「気にしないでください」と書かせたのは、休みの日に聞いた自分だ。気にしている人だと、もう知られてしまった。
気にしないでください、と課長は書いてくれている。
それで終わるはずだった。
なのに頭は、もう次のことを考え始めていた。止めたいのは自分なのに、止め方が分からない。
一行目
寝る前に、机の上の紙が目に入った。一行目に、金曜の夜に自分で書いた「来月の担当のこと」がある。
その下の三行は消さないまま、紙を机に置いておいた。
灯りを消す前にもう一度見ると、四行目だけが、ほかより小さな字で書いてあった。
『Calm』という歌は、悪いほうへ考えていると自分でも分かっているのに、その考えを止められなくて、私だけが苦しんでいるように思ってしまう人の歌です。






