何日もかけて、言うことを決めた。書いては消して、削っていくうちに、最後は三行ほどになった。それを小さな紙に書き写して、畳んでポケットに入れて、三日持ち歩いた。持ち歩いているあいだにも何度か開いて、読んで、また畳んだ。二人になれるのは帰り際くらいしかないと分かっていたから、その日は朝からずっと、その時間のことばかり考えていた。
相手が鞄のファスナーを閉めるのを待って、切り出した。声は思ったより普通に出た。途中でつかえもしなかった。三行を最後まで言った。
相手は怒った顔をしなかった。困った顔もしなかった。上着を羽織りながら、明日の予定の話を始めた。返ってきた言葉は、私の三行のどこにも触れていなかった。そして私は、その予定の話に普通の声で返事をしていた。会話はそのまま続いて、いつも通りの挨拶で終わった。お疲れさまです、と私も言った。
継ぎ目のない会話
駅までの道は人が多かった。すれ違う人の波を縫いながら歩いているうちに、さっきの会話に継ぎ目がなかったことに気づいた。相手の話は、私が口を開く前と後とで、きれいにつながっていた。三行を挟んだはずの場所に、切れ目が見当たらない。
ポケットの中には、畳んだままのメモがある。指で触ると、畳み目のところだけ紙が柔らかくなっている。三日のあいだ、開いては畳んでいた跡だ。用意したことの跡はこんなにはっきり残っているのに、言ったことの跡は、どこを探してもない。
宛先のない問い
コンビニの前を通った。明かりが滲んで見えた。立ち止まらずに通り過ぎた。
もし「それは違う」と言われていたら、言い返せたかどうかは分からない。それでも、私の言葉は、相手の言葉とぶつかった場所に残ったはずだ。間違っていたのなら、直せばいい。届いていなかっただけなら、もう一度言えばいい。どちらなのか分からないままでは、直すことも言い直すことも始められない。
私が悪かったのだろうか、と思う。思ってから、この問いを受け取る相手がどこにもいないことに気づく。声は確かに出した。出したはずなのに、喉元のあたりでまだ渦を巻いている。出ていった気配がない。
聞こえなかっただけ、かもしれない
聞こえなかっただけかもしれない。タイミングが悪かっただけかもしれない。それなら、もう一度言えばいいだけのことだ。三行なら、まだ全部覚えている。
もう一度言う場面を想像してみる。同じ帰り際、同じ切り出し方。想像の中の相手が返事をするより先に、私は想像をやめてしまう。一度目は「聞こえなかったのかもしれない」のままでいられる。二度目に同じことが起きたら、たぶん、そのままではいられない。
おわりに
数日後、同じ相手といつも通りに話している。仕事の段取りと、来週の予定の短いやり取り。相手の話し方は、前と何も変わらない。声も普通に出るし、笑いもする。言いたいことは、また少しずつ溜まっていく。次のは、まだ数行の形にしていない。
夜、部屋で引き出しを開けて、あのメモを畳み直して奥のほうに戻した。捨てられなかった。窓の外では、ビルの隙間に月が浮かんでいる。次に何かを言う日のことを思うと、言葉より先に、喉の奥のほうが重くなる。
『No Place to Hide』という歌は、言いたいことを言えば悪意が向けられる気がして、言いたい言葉を今日も飲み込むしかできずにいる人の歌です。






